日本平和委員会は、1949年に生まれました。 アジアの人々2000万人、日本国民300万人の命を奪った日本による侵略戦争(アジア・太平洋戦争)のあと、私たちの先輩は、“戦争はもう繰り返さない”と誓い、その思いは日本国憲法9条に結実します。
しかし、アメリカとソ連を軸とした「東西対立」が強まり、再び戦争の匂いがたちこめるようになります。こうしたなか、1949年にパリとプラハで平和擁護世界大会が開かれ、日本においても平和擁護日本大会が開催されました。この大会を契機に「日本平和をまもる会」(現在の日本平和委員会)が結成されました。以来、市民の手で草の根の活動をすすめています。
日本平和委員会の目的は、「あらゆる人々の平和の願いをもとにし、戦争と侵略の政策、すべての他民族支配に反対し、日本と世界の平和の確立に寄与すること」(規約第2条)です。
21世紀の今日は、国際的には、核兵器廃絶、国際紛争の平和的解決、民族自決権擁護、外国軍事基地撤去・軍事同盟解消を、国内では、憲法9条守れ、非核3原則の厳守、米軍基地撤去・日米軍事同盟解消、侵略戦争の反省と戦後補償の実現などが大切なテーマと考えて活動しています。
「岩国平和委員会」の前身は1953年に結成された「平和友の会」です。1950年、ストックホルムアピール(平和擁護世界大会委員会(後の世界平和評議会)がストックホルム大会で採択された核兵器廃絶に向けてのアピール)が全国で展開され、その中で徐々に「平和友の会」から「平和委員会」へと改名し統一されていきました。岩国の「平和友の会」も全県的組織として統一され「岩国平和委員会」となりました。
現在、岩国市内外から約100名の会員が在籍し、職場や地域で活動しています。